神道とは日本人が日本人として如何に生きるか、その生き方を教えてくれる道であります。天照大神(あまてらすおおみかみ)を祖神として祭る日本人は、太陽を生命の源と見ます。単なる太陽崇拝や太陽怖ではなく、自然科学で証明されつつある思想体系である生命の考え方なのです。

一輪の花、一茎の野草を見ましても、必ず太陽に向かって伸び、太陽に傾いて咲いております。万物生成の生命力の根源が太陽にあるということは疑うべきもありません。したがって、神道は他の宗教にたいして批判をしたり、非難をしたり、敵視するようなことはありません。大宇宙にある森羅万象いっさいが神であり、対立というものがなく、寛容と調和を大切にするからです。惟神(かんながら)の道とはありのままにということです。百の光を欲する者には百の光を、千万無量の光を欲する者には千万無量の光を与える。

そこには選り好みや差別はなく、完璧に公平無私なのが神道における神なのです。人類発生以来、この地上で生命を維持するためには、食べて生きることに始まります。食すること、着ること、住むこと、この衣食住が人生の基本的生活です。

古典、日本書紀には、天照大神の神勅によってこの地に初めて、「稲の種」をまいた、記されています。稲は命の根といって、一粒まけば万倍になり、自分ひとりで食べるのでなく他者の分までつくるという共存共栄のためのものなのです。つまり地球上に生きる全人類が、飢えないよう実践されました。しかし、その稲とて、どこにでも簡単に成長するものではありません。天地大自然のすべての条件が調和して初めて、豊かな稔りを示すのです。それはあたかも人間が食べて生きていくには、大自然遵法の精神がなければ生きていけないことを教えているかのようです。親から子へ、子から孫へ、正しく歩んでいく道を説いているのが神道です。生命の縦の結びの仕方を教えてくれているわけです。

神道にもし教義があるとすれば、それは自然が教えてくれるものです。太陽の意のままに、美しく咲き誇る花のように、ただ無心に天意に行じていく姿、これこそ神道の精神です。お互いに相手の存在と使命を認め合い、自然に従い、遵法するとき衝突もいがみ合いもない、平和なしかも人間ひとりひとりが、真の生きがいを感じる世界が生まれるものと信じます。

稲荷とは命の根(いね)を荷なうほど豊かであれと願う人々の魂の叫び(言霊)であります。当神社のご祭神、白髭稲荷大明神様のお姿はまさに私たちのめざす豊穣円満の道しるべのように感じられます。一歩一歩確実に近づいていきたいと願います。